今日、買い物のついでにスーパーのフードコートで昼飯を食いながら、久々に高島俊男著「お言葉ですが・・・」の第3巻(文庫版)を読み返しました。その中に「エンドレステープを憎む」という章があり、高島氏は「うるさい日本の私-『音漬け社会』との果てしなき戦い(中島義道著、洋泉社)」という本を引き合いに出しながら、駅の構内アナウンスや役場の放送といった、「大音量で流される音の暴力」について、それがいかに愚劣で傍若無人なものであるかを怒りと共に語っていました。
私は近日中に日本へ帰国する予定ですが、上記の文章を読んで、アメリカでの滞在が心地よかった理由に思い至りました。
日本での私は、一週間の仕事が激務であった場合、土日に休みが取れれば外へ出たりせずに寝転がって本を読んだりDVDを観たりするのが普通でした。そうでもしないと疲れが回復しそうになかったからです。
しかし、そういう私に容赦なく襲いかかるのが「音」でした。竿だけ売り、アイスクリーム売り、餃子売り、廃品回収といった様々な業者が、車に積んだスピーカーから大音量のアナウンスを流しながら次々とやってきます。それに加えて某政党の広報車が「お休みのところお騒がせして申し訳ありません。皆様の貴重なお時間をお借りして・・・」と上辺だけの挨拶もそこそこに政治宣伝を始めるのです。もちろん彼らは彼らなりの使命感に基づいてやっているのでしょうが、情報取得の手段がこれだけ豊富になった世の中で、極端なバイアスのかかった情報を一方的に流し込まれることは大変な苦痛です。
日本へ帰ることはもちろん嬉しいことには違いないのですが、また音の暴力に悩まされる日々が復活するのかと思うと憂鬱な気分です。
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